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NewYork City
2002
4つの「W」と、1つの「H」からなるキーワードから、
2002年のNYへの旅をご紹介します。
日程は2002年5月19日〜24日(4泊6日)。
日中はポロシャツ一枚でもいいくらいでしたが、
夜になると上着が必要になるほど寒くなる気候でした。
目的地はグラウンド・ゼロ、自由の女神像、自然史博物館、
セントラルパークなどなど。
滞在先は、ミッドタウンにあるホテル・ペンシルバニア。
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hen?
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成田ートロント・ピアソンーNYラ・ガ−ディアの往復同ルート。
全便エア・カナダ利用です。
NY市内の移動手段は、ニッポンレンタサイクルにて
BMX(マウンテンバイク)をレンタル。
滞在中はほとんどBMXでした。
NY市周辺の5月は、晴れれば最高に気持ちよい日差し。
女性は紫外線対策が必要かも。そのかわり夜は肌寒いです。
5月の平均気温は、最高気温が20℃、最低気温が10℃
hich?
eather?
and...Hi!
どこへ行っても、やっぱり大切なのは挨拶。特に北米エリアは、
「ハァイ!」の一言ですぐに友達になれそうに感じるほど
きさくな挨拶があります。ちょっとした買い物で店に入る時なども
この一言が大切でした。ちなみに男性は短く「ハイ!」と言うと
so ccol!
成田は、W杯に向けて厳戒態勢でした^_^;17:15AC002は定刻通り成田を出発。
トロント経由でラ・ガーディア空港に
到着したのは、同じ19日の20:00くらい。
NYへは、ほとんどの方なら日本からの直行便ですが、もともとカナダ好きがここでも
本領発揮。(^^ゞ乗り慣れている成田からの
トロント経由のエア・カナダが料金的にも抜群の好条件だったのを発見っ、
マイル加算の魅力も手伝って
格安チケをゲットしたのです。トロントからアメリカへの税関審査を抜けるまではちょい分かりづらかったですが、これもまた旅の醍醐味。

ラ・ガーディア 空港では、BMX(マウンテンバイク)のレンタルと
送迎をお願いしていたニッポンレンタサイクルの店長さんがお出迎え。
マンハッタンまでの道すがら、NYの車事情に
「やっぱり都会だなー」(っと、すっかりおのぼりサン(^^ゞ)
トロント経由でアメリカ国内に向かう場合は、3つあるターミナルのうち、日本からはT1に到着する。カナダへの入国審査が終わったあと、アメリカサインのとおり進み、T2へバスで向かう。T2へ着くと、カナダ国内線とアメリカ線の両カウンターの間にある「US connection baggage」のカウンターで荷物を受け取り、アメリカへの入国審査場へ向かい、搭乗する。


ラ・ガーディア空港は、マンハッタンから一番近いロケーション。したがってマンハッタンまでの交通費が一番安い。途中にはNYメッツの本拠地シェイ・スタジアムが見れる。各ターミナルも比較的こじんまりとしていて分かり易い。


ホテル・ペンシルバニアは、
@ロケーションが良い(ペンステ目の前)
A24時間営業のデリと、カジュアルレストランがある
BBMXを部屋まで持ちこみができる
などの長所があります。セキュリティなどホテルに求めるニーズの足りなさで、おすすめできないコメントをよく聞きますが、上級クラス以上のホテルを選ばないのであれば、それはそのまま「全て自己責任」が必要不可欠なので、割り切った考えであれば、上記の長所を考えるとおすすめできると思います。
初NY!初タイムズスクエア!初・・・もう全部っ(^^ゞホテル・ペンシルバニアにチェックインしたあと、すぐにBMXで夜のマンハッタンへ。まずセントラルパークをひとっぱしり、ストロベリーフィールズなど通りながら、木々のシルエットの向こうにそびえる摩天楼がキレイに見えました。
セントラルパークを抜けるとそのまま南下、
タイムズスクエアへ。
NYの道は、ちゃんと道路の左側に自転車用のレーンが書いてある道路が多く、タクシーや他の車はここは通らないので安全にサイクリングできます。
一時間ほどで一回りしたあと、コ腹が減ったので、42th.St近くにある、牛丼の「吉野屋」へ。NY最初の食事は意外にも日本食。でも異国の雰囲気が、牛丼の味をすっかり「ビーフ・ボール」にしてしまったカンジ。ホテルへ戻り、ベッドに入ったのは午前0時をすっかりまわってました。
時差ボケと、NYアドレナリンが強烈に効いてほとんど寝ないまま朝を迎えた二日目は、
いよいよ本格的にBMXでマンハッタンを巡りました。
題して ”ロードオブザブリッジ〜2つの塔”っ
ニッポンレンタサイクルの店長さんに
昨晩教わったルートでホテルを出たのが9時ごろ。最初に向かったのはマンハッタン・ブリッジでした。ホテルから南下してCanal St.へ、チャイナタウンの漢字ばかりの看板たちが視界に飛びこんできた先に、大きな青い鉄骨の塔が2つ見えてくると、マンハッタンブリッジの自転車専用道路の入り口がありました。地下鉄とスクールバスと一緒に渡っているようにも感じれるこの橋からの眺めは、特にロウワーマンハッタンと自由の女神と、ブルックリン・ブリッジが
一度に堪能できます。
マンハッタン・ブリッジを渡り、少し大まわりに数ブロック走るとブルックリン・ブリッジの入り口が見えてきます。130年以上前に親子2代で建てた、マンハッタンとブルックリンを最初に結んだ橋は、2つの石塔から伸びる無数のワイヤーが、幾何学的な模様を五月晴れのNYの空に描いてました。
マンハッタンブリッジのBMX道路。横は地下鉄がゴーッッ
マンハッタンブリッジから眺めるブルックリンブリッジとロウワーマンハッタンブルックリン・ブリッジには大勢の観光客が徒歩で渡っていました。全長2キロを越す長い橋は、車道を通る車で微妙に揺れてました。石塔には建築時のレリーフや、歴史が紹介されていて、130年の重みが伝わってきます。コンクリートの舗装道路だったマンハッタンに比べ、ブルックリン・ブリッジは木製板張りの道路。右手には、さっき渡ったばかりのマンハッタン・ブリッジがイーストリバーに浮かんでいるようです。


橋を渡ってマンハッタンに戻り、橋のすぐたもとにあるデリで、
ベーグルサンドとオレンジジュースで軽くブランチ。地図を確認して、

ピア17
へ。グラウンド・ゼロの展望チケットをもらいにいきました。
石塔の左側にはエンパイアステートビルがご挨拶っ
Pier17とグラウンド・ゼロはFulton St.で結ばれていて、かたや明るい雰囲気のシーポートに比べ、この通りはアスファルトが全て剥ぎ取られてボコボコ。通り沿いにはWTCの写真や絵葉書、また崩れ去る瞬間の写真まで露店に売られてました。「こんなことを商売に利用するなんて・・」と、思いながらも緩やかな坂を登っていくと、TVで何度も見た教会Trinity Churchが見えてきました。BMXを近くの屋台脇に止めて、教会脇から伸びる木製の登り坂に進むと警官が2名立っていて、チケットを渡してしばらく待つと、展望台へ登れる順番が来ました。
鎮魂の教会脇に並ぶ慰霊の品々展望台から降りるまで、言葉なんて何も浮かびませんでした。目の前に広がる
ポッカリ空いた大きな穴。あの日から「一日も早く」と思っていた場所へ253日目にやっと来ることができた気持ちになりました。「全ての犠牲者に哀悼と、そして感謝の祈りを」と展望台の柱にきざんで、冥福を祈りました。
2001年9月、カナダに滞在していたヒロはテロ事件に遭遇し滞在が大幅に延期。思うように移動ができず大変な状況の中、大勢の人々に助けられ、そして滞在が伸びたおかげで、その旅の大きな目的のひとつが幸運にも達成できたのです。(詳細はヒロのカナダレポート2001を見てね)帰国後、自分にとってのNYがそれまでの気持ちとはだいぶ違ってしまったヒロは、とにかくなるべく早く、ここに来ようと決めたのです。
展望台では、誰も無口でした。15分間しかここにはいられない決まりになっているらしく、警官が「時間です」と呼びかけると、皆、また黙って展望台を降りていき、ヒロも降りました。こんな複雑な気分の海外への旅は初めてで、出発前も、今回のNYはずっと落ち込んだままの旅になるかもと思ってました。でも、事件以降、いろんな形で
「いつまでも落ち込んでいてはいけない、」とも教えてくれた人々のためにも、NYを楽しまないとっ、と考え、気持ちを入れ替えてBMXを置いてある場所まで戻りました。


   
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