第5章 「予定にない旅」
NYテロが起きたのが9月11日(火)。その日から空路の全便が
止まった。予定では13日(木)にカルガリーへ飛ぶはずだった。
国内線が14日に運行を再開したが、ルートも便数もメチャクチャだった。
チャチルからウイニペグまでは約1000キロある。ウイニペグ空港に
問い合わせると、今まで運休していた主要都市間の空路を最優先させているため
チャチルからの飛行機を着陸させる滑走路が時間的にすぐ空かないという。
よってチャチルからは、400キロ離れたトンプソンという
町までなら飛ぶことになっているという。
トンプソンからはVIAで2日かけて、南北約400キロあるウイニペグ湖をぐるっと
迂回するようにしてウイニペグまで行くしかない。この移動だけで
「世界の車窓から」の特番が組めるほど時間がかかる。
ウイニペグへは、おそらく大丈夫だろうと言われた15日(土)に戻ることにした。
「ヒロ、ここにいれば安全だわ」っと、B&Bのグーズ夫人が言ってくれた。
チケットの予約をとったあと、BMXを借りて町中をまわった。
この日からはなんの予定もない、ポッカリ空いた日。なんか本当の「旅」が
始まった気分になっていた。ポストオフィス、スーパー、パークス・カナダ、
エスキモー博物館とフラっと寄ってから気分の赴くままVIAのチャチル駅へ。この日は
ウイニペグへ向かうチャチル号が止まっている。その大きな機関車と客車を
撮影したあと、線路沿いに歩く。ただ、歩く。
チャチル号に乗ってウイニペグまで向かってもよかったのだが、
まるまる3日かける鉄道の旅より、3日間のチャチル滞在の方を選んだのだ。
唯一の大きな道路と平行して伸びる線路に座って上を眺めると、
カナダ雁の群れがV字になって南へ飛んでいく。せまる極北の冬を知ってか、
彼らの見る先には、暖かく広大なピートモスの大湿原があるのだろう。
海外へ出て、こんな気分は初めてだった。贅沢だとも思うし、充実とも思う。
反面、明日が見えないことに現実的な不安もある。
でも毎日毎日予定に埋もれる生活を続けていると、
生きている実感すら失ってしまうことに気づく。今回の旅で・・・
ものすごい犠牲を払って・・・NYの人々が教えてくれた。
![](image7.jpg)
VIAチャチル号には3種類の絵柄があしらわれている。
これはイーグル。ほかにベルーガとポーラーベア-がある。
この夜、一人の日本人アマチュアカメラマンと会った。
アメリカの金融会社を定年後、ほとんどぶっつけで
チャチルへ行き、シロクマの写真を撮りまくっている。カメラの
経験はもちろん、動物写真家としてのノウハウもないままで、だ。
今年で5年目で、その間になんと7回もチャチルに来てるという。
彼とは、日本を出発する前に彼のサイトを見つけて、メールで話したことが
あった。50才を過ぎてからこの行動力。見習いたいと思った。体力ではなく、
そういう気持ちを持ちつづけるというスピリッツを、だ。
彼が話したのは、この冬からなんと日本のNHKが、来年に放映する予定の番組つくり
のために1年間かけてチャチルを取材するらしい。案内人は
プロカメラマン岩合光昭。彼はその番組のスーパーバイザーになるらしい。
すごい話だと思った。でもそれよりも、そこまでこの極北の地に
魅せられたアマチュアカメラマンのことのほうがもっと驚いた。
翌日、昼からそのアマチュアカメラマンと同行するので、
それまでに行っておきたい場所があったので、BMXを飛ばした。
昨日行った、だだっ広いタンドラの中、線路と平行して伸びる唯一の道路
の途中に、チャチル・タウンの看板がある。この夏できたというのだが、
冬を越すとすぐボロボロになるらしい。ここが町の入り口、と示す雰囲気が
好きで、一枚撮っておきたかった。
![](image8.jpg)
空はもうすっかり秋の空。寄り添うように針葉樹が1本だけ
立っている。いずれマイナス30度の気温とブリザードに
さらされることを知っているかのように、やわらかな日差しを
今だけいっぱいに浴びてキモチよさそうだった。普通、こんな看板が
観光地にあったら、みな一緒に写真を撮るひとたちが必ずいるのに、
人口約1000人ほどの秋のチャチルでは、わざわざこんなところまで
来る人は誰もいない。ほんの時々車が通り過ぎるだけ。
明日はチャチルを離れる。タンドラ、ベルーガ、カナダ雁、ムース、キツネ、
そしてオーロラと、この時期では難しいだろうと言われていた極北の大自然
を、この4日間でほとんど見ることができた。満足だった。
幸運でもあったかも知れない。・・・言うのがつらいが、テロ事件で
日程が延びたおかげなのだ。
だからこそ、今でもNYテロ事件は気持ちがすごく重くなる。
この日は、朝から全米とカナダ主要都市で追悼ミサが
行われ、全てのTVが中継した。聞こえてくるスピーチに、意味は
わからなくても涙すら覚えた。全然他人事ではなかった。
この日の午後、アマチュアカメラマンと車でハドソン湾沿いに
ドライブをする。ヒロはそこで、自分のあらゆる感情が交錯してしまう出来事に
またまた遭遇してしまうのだった。
つづく
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